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【ボートレース/元競艇選手】”不死鳥”と呼ばれた植木通彦!あの大事故や獲得賞金額などについて

競艇界のレジェンド植木通彦について知る!

あなたは“植木通彦”という、競艇界の偉大な人物を知っていますか?

植木さんは競艇界において、「レジェンド」「不死鳥」「艇王」「勇者」と呼ばれる方で、競艇界の時代を切り開いた第一人者なんです。

今回は植木さんにスポットを当てて、その雄偉さを余すことなくご紹介します。

 

 

植木通彦のプロフィール

まずは、植木さんの経歴を確認していきましょう。

そのなかで、あの有名な大事故にも触れていきます。

 

植木通彦の経歴

名前:植木 通彦(うえき みちひこ)

登録番号:3285

生年月日:1968年4月26日

出身地:福岡

級別:A1階級(引退時)

支部:福岡

登録期:59期

 

福岡県で生まれ育った植木さん。

当時も北九州は競艇が盛んで、植木さんは小さいころから父親に若松の競艇場へ連れて行ってもらっていたそうです。

転機は植木さんが高校生のときに訪れます。

その当時、日本は不景気でその波を植木さんの家も受けていました。

そのときに植木さんは「父親を助け、家族の支えになれるようになりたい」と競艇研修所の試験を受けることを決めます。

植木さんは両親や教師からは猛反対を受けながらも、見事研修所の試験に合格し、競艇選手に一歩近づいたのです。

 

転覆により顔面を75針縫う大事故

研修所での厳しい訓練を耐え、その後1986年に地元福岡の競艇場にてプロデビュー。

デビューしてからは5着、4着、2着と徐々に順位を上げ、12月には初勝利を掴みました。

順調なスタートを切って、さぁこれから頂点を目指そうか!というときに競艇人生を変えるような大きな出来事が起きます。

植木さんがレース中に操縦を誤って転覆し、そのとき後続艇のプロペラが顔面を直撃してしまったのです。

救助員が「もう顔じゃないと思うほどひどかった」と語る大事故で、植木さんは顔面を75針縫う重傷を負います。

ただ、幸いにもプロペラは目に当たらず失明は免れたのです。

 

奇跡の復活を遂げた”不死鳥”

失明は免れたとはいえ、全治5ヶ月の大けがです。

プロペラが当たったときの記憶も残っているわけですから、普通に考えれば恐怖心から選手復帰は考えられないでしょう。

それでも植木さんは競艇選手として復帰を望み、あえて大けがを負った桐生競艇場で復帰をしたのです。

これが奇跡の復活と称えられ、植木さんは「不死鳥」と呼ばれるようになりました。

 

植木通彦の優勝歴

ここでは、植木さんの優勝歴を以下でチェックしていきましょう。

 

SG

1997年 5月27日 第24回 笹川賞競走(常滑競艇場)

2001年6月24日 第11回 グランドチャンピオン決定戦競走(唐津競艇場)

2002年8月4日 第7回オーシャンカップ競走(若松競艇場)

2002年12月1日 第5回競艇王チャレンジカップ(津競艇場)

2002年12月23日 第17回賞金王決定戦競走 – 決定戦(住之江競艇場)

2005年5月29日 第32回 笹川賞(常滑競艇場)

 

植木さんのSG出場は72回で、うち6回優勝を果たしています。

 

G1

1997年7月10日 G1モーターボート大賞競走(鳴門競艇場)

1998年3月12日 G1モーターボート大賞競走(福岡競艇場)

1998年12月8日 オールジャパン竹島特別 43周年(蒲郡競艇場)

1999年 10月20日 G1モーターボート大賞競走(尼崎競艇場)

1999年10月31日 G1モーターボート大賞競走(芦屋競艇場)

1999年11月18日 競艇キングカップ 開設47周年記念競走(児島競艇場)

2000年2月20日 第46回 九州地区選手権競走(唐津競艇場)

2000年6月6日 G1全日本覇者決定戦 開設48周年記念競走(若松競艇場)

2000年9月7日  G1海の王者決定戦開設48周年記念競走(大村競艇場)

2000年11月7日 G1第46回宮島チャンピオンカップ(宮島競艇場)

2001年1月18日 開設47周年記念 全日本王者決定戦競走(唐津競艇場)

2001年12月13日 G1ダイヤモンドカップ競走(浜名湖競艇場)

2002年3月10日 G1 ダイヤモンドカップ競走(芦屋競艇場)

2004年11月9日 G1モーターボート大賞(常滑競艇場)

2005年4月7日  G1全日本王座決定戦 開設53周年記念競走(芦屋競艇場)

2005年6月16日 G1 ダイヤモンドカップ競走(住之江競艇場)

2006年2月14日 G1第52回九州地区選手権競走(大村競艇場)

2006年11月7日 第54回G1競艇キングカップ(児島競艇場)

 

G1の優勝歴がすごいですね。

実は植木さんはG1に147回も出場しており、優勝戦には63回も出走しています。

そのうち18回の優勝を飾っているのです。

 

G2

植木さんはG2レースの出場はありません。

 

G3

2000年2月1日  JR九州ジョイロード杯競走(芦屋競艇場)

 

植木さんはG3レースに6回出場しており、優勝戦には3回出走しています。

1/2の割合で優勝戦に出走とは凄いですね。

そのうち1回優勝を飾っています。

 

39歳で突然の引退

植木さんは大事故を乗り越えて、コンスタントに好成績を重ねます。

90年代後半は植木さんが率いる時代、といっても過言ではないでしょう。

それぐらいトップレーサーとして活躍されていました。

2000年代もこのまま駆け抜けていくだろう、と誰もが思っていましたが、2007年に突如引退を宣言します。

当時、植木さんは39歳。

A1階級でしたし、そのまま続けていても第一線でまだまだ活躍できたに違いありません。

植木さんは引退当時を振り返って、後にこのように語っています。

「大ケガを負った20歳のとき、復帰する怖さもあるが20年間は頑張ろうと誓い復帰しました。そして20年目の2007年を迎えるとき、周りからはまだまだ走れるよと言われていましたが、そう思われつつ退くのが華かなと考え引退を決めたのです」

引退後は養成所の校長に就任し、2018年6月からはBOAT RACE振興会のボートレースアンバサダーとしても活躍されています。

 

植木通彦といえばモンキーターン

59期の記念レースの優勝回数は、現時点で52回。

そのうちの半分以上を稼いだのが植木さんです。

そんな植木さんの代名詞になったのが、モンキーターン!

モンキーターンとは鋭く速いターンを行う技術で、艇の上に立ち上がる高度な技です。

現在は多くのレーサーが行っていますが、当時は技術も確立されていなかったので、“危険を伴う技”と躊躇されていました。

そのモンキーターンを駆使してSG競走で勝利を上げ、「植木=モンキーターン」と知られるようになったのです。

ちなみに、モンキーターンを最初に行ったのは飯田加一さんなのだとか。

後に、植木さんはやまと学校の校長としてモンキーターンのスピリットを後輩たちに伝えています。

 

 

“艇王”植木通彦の獲得賞金額は?

生涯の出走数4500走のうち、1562回の勝利をあげている植木さん。

勝率7.58という驚異の数字をたたき出しています。

「艇王」と呼ばれる植木さんの記録はまだまだあります。

記録の順位は2007年引退当時のものですが、凄すぎるのでご紹介しますね。

  • SG優勝 :5年連続(1位)
  • SG優勝 :年間3回(1位)
  • 年間獲得賞金1億円突破:9年連続(1位)
  • 賞金王連続出場:10年連続(1位)

植木さんの生涯獲得賞金額は、なんと22億6186万円!

2021年現在でも歴代7位です。

この記録を見ると、2007年以降も第一線で活躍できたのでは?と惜しまれます。

植木さんがもしその後も選手を続けていたら…、どのくらい記録が伸びたのでしょうか。

 

今後も競艇界を牽引!

今回は競艇界のレジェンド、植木通彦さんについてご紹介しました。

選手生命を脅かすような大けがからの見事な復活。

その後もモンキーターンを武器にして勝利を重ね、競艇界を牽引し続けた植木さんには脱帽です。

39歳での引退は早すぎたようにも感じますが、引退後はアンバサダーとして競艇界を陰ながら支える存在となっています。

今はテレビやトークショーでも活躍されているので、今後も植木さんには競艇界を引っ張っていって頂きたいですね!

 

 

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