競艇/ボートレースで起こった死亡事故
ボートレースは時速約80kmものスピードで競い合う「水上の格闘技」とも呼ばれる競技です。
どんなにベテランのレーサーでもひとたび水面に放り出されてしまえば水面に叩きつけられ、 スピードで迫る後続艇と衝突すれば一瞬で命を落とす大事故に繋がる危険性があります。
レース中の事故で亡くなられた方々
残念ながら、今までにレース中の事故で亡くなってしまった方は31名にのぼります。
登録番号 | 選手名 | 死亡年月日 | 事故競艇場 |
37 | 横溝幸雄 | 1953/12/24 | 唐津 |
148 | 大西昭 | 1963/07/09 | 常滑 |
262 | 中村五喜 | 1968/10/14 | 唐津 |
302 | 西塔莞爾 | 1953/01/07 | 児島 |
591 | 中島常价 | 1962/01/06 | 尼崎 |
863 | 大井手善信 | 1954/02/05 | 唐津 |
910 | 和泉定治 | 1965/03/23 | 児島 |
1106 | 川添一夫 | 1965/02/22 | 若松 |
1100 | 池田博 | 1973/10/07 | 多摩川 |
1299 | 小笠原政敏 | 1962/07/25 | 鳴門 |
1335 | 石塚一雄 | 1972/11/12 | 平和島 |
1371 | 半田弘志 | 1968/05/14 | 若松 |
1747 | 勝股勇 | 1982/01/23 | 江戸川 |
1822 | 水野定夫 | 1993/11/22 | 江戸川 |
1874 | 中井紘司 | 1965/12/23 | 芦屋 |
1876 | 伊藤公二 | 1998/03/23 | 浜名湖 |
2189 | 筒井博利 | 1977/09/30 | 若松 |
2310 | 花田龍美 | 1981/08/24 | 大村 |
2356 | 蛇山清 | 1970/11/01 | 鳴門 |
2467 | 一瀬隆 | 1978/08/14 | 大村 |
2482 | 宮本力 | 1985/01/03 | 江戸川 |
2546 | 沢田菊司 | 1999/11/06 | 平和島 |
2753 | 安心院信行 | 1983/01/24 | 三国 |
2988 | 鈴木詔子 | 2013/11/02 | 下関 |
3196 | 木村厚子 | 2003/05/25 | 津 |
3366 | 清水正博 | 1989/01/06 | 桐生 |
3526 | 有吉貴之 | 1997/09/04 | 津 |
3529 | 松本勝也 | 2020/02/09 | 尼崎 |
3861 | 岩永高弘 | 2010/05/14 | 若松 |
4029 | 中島康孝 | 2004/03/28 | 尼崎 |
4048 | 坂谷真史 | 2007/02/26 | 住之江 |
坂谷真史選手
坂谷 真史(さかたに しんじ)選手は福井県出身で福井支部に所属。
1999年11月11日に三国競艇場でデビューし、2004年には現在も競艇選手として活躍している佐々木裕美選手として結婚。
SG競走にも出場するほどの実力があり将来を期待される選手でした。
しかしながら、2007年に悲劇が起きてしまいます。
2007年2月26日に住之江競艇場で開催されたGI第50回住之江周年記念「太閤賞」の第3レース、坂谷選手は5号艇6コースから出走しました。2周目の第1ターンマーク、2号艇との激しい2番手争いでハンドルにより抜きにかかったところ、6号艇との接触により転覆。そして事故艇を回避していた3号艇の位置に浮上し、巻き込まれました。
その後、大阪市立総合医療センターへ搬送され、集中治療室で治療を受けるも脳幹裂傷及び頭蓋骨骨折の合併症により12時54分に死亡が確認されました。
当時坂谷選手は26歳の若さで、この事故は翌日のスポーツ新聞の社会面に掲載されるほど、世間に衝撃を与えました。
松本勝也選手
松本勝也(まつもとかつや)選手は、兵庫県神戸市出身で兵庫支部に所属。
1991年5月に尼崎競艇場でデビューし、1996年にA1級へ昇級して以来24年間A1級を維持し続けるベテランレーサーとして活躍していました。
事故は2020年2月9日、尼崎競艇場で行われていたG1「第63回近畿地区選手権」の4日目の第9レースで発生。
6号艇の松本選手は1周目の2マークでのターンの際に転覆・落水し、後続の5号艇と接触し、直ちに救助艇により救助され、病院へ搬送されましたが既に心肺停止状態で、病院で死亡が確認されました。死因は溺死と言われています。
鈴木詔子選手
鈴木詔子選手(すずきしょうこ)選手は、2013年11月2日に下関競艇場でレース前の練習に向かうためスタート位置に移動させようとしていたところ、突然ボートが全速状態になりそのまま岸壁に衝突。
頭などを強く打ち、午前11時9分、同市内の病院で脳挫傷のため死亡。
木村厚子選手
木村厚子選手は「競艇界のニューアイドル」と呼ばれており、ファン人気のかなり高い女性ボートレーサーでした。
2003年5月24日津競艇場の7レース目、木村選手は1号艇で出走。
1周目の第2ターンマークを先頭で旋回したところ振込み失速し、後方の選手が避けきれずにそのまま乗り上げる形になって接触したことで落水。
直ちに、三重大学医学部附属病院へ搬送され、集中治療室にて治療を受けましたが、手当ての甲斐なく頸髄損傷、脳挫傷により38歳という若さで亡くなりました。
トップ成績の訓練生が事故に
デビュー後のレースだけでなく訓練中にも悲惨な事故が起こっています。
2016年5月19日やまと学校での模擬レース中、女子訓練生の操縦する先行艇が何かしらの理由で減速し、そこに後続艇が追突したことで先行艇の女子訓練生はそのまま投げ出されました。
事故発生後、久留米市内の病院に搬送されましたが懸命な治療の甲斐なく、頸髄損傷のため死亡。
女子訓練生はフジテレビのテレビ番組「Qちゃんに見せたい!厳しい世界」で密着取材されていた水城佑理選手で、女子選手ながらも訓練生中トップの成績という逸材として期待されている存在であり、デビュー前から既にファンも多くいました。
プロペラに顔を切り刻まれる大事故
最後は大事故に巻き込まれたものの、奇跡の復活を遂げたエピソードをご紹介します。
現役時代にはSG優勝回数10回、通算74回の優勝を果たし「艇王」とも呼ばれていた元競艇選手の植木通彦さんですが、デビューから3年後の1989年、桐生競艇場でのレース中に操舵ミスにより転覆し、後続艇のプロペラに顔を切り刻まれてしまいます。
鼻が欠損するなど、顔の部位がどこか分からなってしまうような状態で、75針を要するほどの大怪我を負いました。
全治5ヶ月となり半年後にレースに復帰することとなったのですが、植木元選手が復帰の場所に選んだのはなんと大怪我を負った桐生競艇場。
この経緯から植木元選手には「不死鳥」の異名がつくこととなります。
現在はやまと学校の校長も務める植木選手。自身の経験をもとに今後も競艇界を引っ張っていってほしいですね。
競艇は常に危険と隣合わせの競技
様々な事例を見ると、競艇は本当に命がけの競技であることが分かりますね。
どれほどのプロであっても些細なきっかけで大事故になってしまいます。
しかし、起きてしまったこととしてそれだけで終わらせてしまうのではなく、少しでも選手の危険性が少なくなるように安全性が向上し、悲惨な事故がなくなることを願います。