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【ボートレース/競艇選手】グレートマザー日高逸子を知る!”逆転人生”の生い立ちとは?

ボートレーサー界の”女帝”日高逸子選手

1985年のデビューから36年、通算2000勝を達成するなど女性ボートレーサーのレジェンドとして今なお活躍し続けている日高逸子選手。

通算獲得賞金額はなんと10億円を超え女子ボートレーサー史上最高額を記録…!

プライベートでは2人の子供を持つ母でもあり、その人柄から「グレートマザー」の愛称でも親しまれています。

今回はそんな日高選手のレーサーとしての軌跡や旦那さんとの馴れ初め、優勝成績などについてご紹介していきます。

 

 

日高逸子選手のプロフィール

 

日高逸子選手

出典:https://www.boatrace.jp/owpc/pc/data/racersearch/season?toban=3188

 

名前:日高 逸子(ひだか いつこ)

生年月日:1961年10月7日

出身地:宮崎県

階級:A1

支部:福岡

登録期:第56期

登録番号:3188

身長:155cm

体重:46kg

 

日高選手の同期には熊谷直樹選手、木村厚子選手、飯倉郁子選手などがいますが、木村選手と飯倉選手は若くして亡くなられています。

 

壮絶な生い立ち

日高選手は1961年に宮崎県都城市で中学校教師の父親と保育士の母親の長女として生まれ、2歳上の兄と共に暮らしていました。

しかしながら日高選手が4歳のときに父親がバイク事故に遭ってしまい、後遺症からアルコール依存症となり家族に暴力をふるうようになってしまいます。

そして日高選手が小学1年生のときに、そんな生活に耐え兼ねた母親が突然姿を消しました

その後、日高選手と兄は祖父母のもとに預けられますが、祖母の厳しいしつけがあり農作業や家事など辛い労働を強いられていたそうです。

日高選手が中学2年生のときには祖父が亡くなり、貧しかったため奨学金を取得して高校へと進学します。

高校卒業後は地元の信用金庫に勤めていましたが、単調な仕事に嫌気が差して退職。

その後は転々とし、ツアーコンダクターの専門学校に通っていたときに転機が訪れます。

 

ボートレーサーを目指したきっかけはお金?

専門学校時代は4畳半、共同風呂の寮生活をしていた日高選手。

そのような中たまたまテレビをつけたところ、「ボート選手になって1000万円!」という当時田中真弓選手が出演していたCMが流れてきて、お金が必要だった日高選手は「これだ!」と思ったそうです。

そうして勢いのまま本栖研修所の試験を受けたところ、実技試験は落ちてしまったもののなんと学科試験は一発合格。

その後本栖研修所に入所し、1985年に芦屋競艇場でデビューします。

 

日高逸子選手の優勝成績

ここからは日高選手の優勝歴について見ていきます。

 

SG優勝歴

なし

 

G1優勝歴

・2005年3月6日 G1第18回JAL女子王座決定戦競走(大村競艇場)

・2014年12月31日 第3回クイーンズクライマックス(住之江競艇場)

 

G2優勝歴

なし

 

G3優勝歴

・1997年7月29日 G3スポニチ杯争奪真夏の女王決定戦競走(大村競艇場)

・1997年8月27日 97女子リーグ戦競走第11戦シンデレラカップ(丸亀競艇場)

・1998年11月15日 ’98女子リーグ戦競走 第15戦(徳山競艇場)

・1998年12月20日 ’98女子リーグ戦競走第18戦(若松競艇場)

・2015年9月15日 G3オールレディース マクール杯(芦屋競艇場)

・2018年10月13日 G3オールレディース 福岡なでしこカップ(福岡競艇場)

・2020年8月1日 オールレディース マクール杯(芦屋競艇場)

 

期別成績

日高選手期別成績

出典:https://www.boatrace.jp/owpc/pc/data/racersearch/season?toban=3188

日高選手は女子ボートレーサーとして初めてモンキターンを習得したと言われています。

勝率は6.31で、3連対率は63.1%と半分以上の割合で舟券に絡んでくる可能性があるので、日高選手の出るレースの予想をする際は要チェックです。

平均スタートタイミングは0.17とそこまで早いタイミングではありません。

 

3度のフライングでB2級に急降格

日高選手は2020年の前期に3度のフライングを切ったことにより、150日間の出場停止処分と、A1級から最低ランクのB2級へ降格というペナルティを負ってしまいました。

150日間の出場停止期間は無収入となり、降格によって出場レースが3分の1に減ってしまうため再びA1級に復帰するのはかな難しく、選手の間では「地獄の生活の始まり」とも言われています。

この状況に対して日高選手はただでさえ年齢のハンデもあるため引退かとささやかれていましたが、ここで諦めないのがグレートマザー。再出発を決断し、まだまだ勝負に挑み続ける姿勢を貫いています。

 

舟川船一郎舟川船一郎

そもそも3度のフライングは日高選手の必死の攻めの結果なので、ベテランレーサーでも攻め続ける姿に称賛をおくりたいっす

 

日高逸子選手の師匠・弟子

日高選手の師匠は大屋勝利元選手で、弟子はいないようです。

 

専業主夫の旦那さんとの馴れ初め、娘の存在

日高逸子選手は1996年に夫の邦博さんと結婚し、二人の娘さんがいます。

夫の邦博さんはレーサーとして活躍する日高選手に代わって専業主夫となり、新しい家庭の形を実践しながら講演や執筆活動なども行っています。

 

日高逸子選手の獲得賞金額

日高逸子選手の近年の獲得賞金額と女子選手中の順位がこちら。

・2017年 27,753,400円(11位)

・2018年 34,704,000円(6位)

・2019年 35,931,500円(8位)

 

冒頭でもご紹介している通り、日高逸子選手の生涯獲得賞金額は10億円を超え、女性ボートレーサー史上最高金額を更新しています。

 

「努める者は報われる」どん底からでも戦い続ける

壮絶な生い立ちから、今まで数々の困難を乗り越えてまさに“逆転人生”というような輝かしい活躍を見せてきた日高逸子選手。

しかし競技人生35年を超えたところで、B2級への降格という新たな試練に立ち向かうこととなりました。

日高選手はサインをする際に必ず「努める者は報われる」と書き添えています。

ベテランとなった今も努力を積み重ね続けているグレートマザー。

果たしてここからどのように這い上がってくるのか、今後の活躍からも目が離せません!

 

 

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